2020年シーズンから錦織圭選手の新しいコーチとなったマックス・ミルヌイ(Max Mirnyi)コーチ。
ダブルスで大きく活躍した選手で何度もランキング1位になった経験があります。
この記事ではマックス・ミルヌイコーチのプロフィール、現役時代の成績などをまとめていきます。
(2020,3,1更新)
プロフィール
| 年齢 | 42歳 |
| 生年月日 | 1977年7月6日 |
| 国 | ベラルーシ |
| 身長 | 196cm |
| 体重 | 93kg |
| 利き手 | 右 |
| バックハンド | 片手 |
| プロ転向 | 1996年(16歳) |
| 引退 | 2018年(40歳) |
それから2018年まで現役生活を続けて引退しました。
2004年にクセニヤ・ミルナヤさんと結婚し、現在は子供が4人います。
現役時代のツアーでの成績
キャリアタイトル
シングルス
シングルスでのキャリアタイトルは1勝。
2003年のロッテルダムでツアー初タイトルを獲得しています。
この時はノーシードでの出場でしたが、準決勝では大会第2シードで若き日のフェデラー選手に勝利しています。
ダブルス
ダブルスでのキャリアタイトルは52勝。
そのうちグランドスラムでは6勝、マスターズでは16勝、ツアーファイナルでは2勝とビッグトーナメントは合計すると24勝です。
初タイトルはプロ入りからわずか1年で獲得した1997年の上海。
その後2000年には全米オープンでグランドスラム初タイトルを獲得し、同じ年にパリでも優勝しマスターズの初タイトルも獲得。
グランドスラムの最高成績
シングルス
| 全豪オープン | 3回戦 |
| 全仏オープン | 2回戦 |
| ウィンブルドン | 4回戦 |
| 全米オープン | ベスト8 |
グランドスラムシングルスでのの最高成績はベスト8。
2002年の全米オープンでベスト8入りを果たし、この時は4回戦でフェデラー選手に勝利して準々決勝進出。
ダブルス
| 全豪オープン | 準優勝 |
| 全仏オープン | 優勝(4回) |
| ウィンブルドン | 準優勝 |
| 全米オープン | 優勝(2回) |
グランドスラムダブルスでの最高成績は優勝。
2000年の全米オープンでグランドスラム初制覇。
全仏オープンでは2005年に初優勝、翌年の2006年にも優勝して2連覇。さらにその5年後の2011年に優勝し、翌年の2012年にも優勝、2度の2連覇を果たし合計で4回の優勝となっています。
全豪とウィンブルドンに関しても決勝進出は果たしていて、全てのグランドスラムで決勝進出したことになります。
マスターズの最高成績
シングルス
| インディアンウェルズ | 3回戦 |
| マイアミ | 3回戦 |
| モンテカルロ | 3回戦 |
| マドリード(シュツットガルト) | 準優勝 |
| ローマ | 2回戦 |
| カナダ | ベスト8 |
| シンシナティ | ベスト4 |
| 上海(ハンブルク) | ベスト4 |
| パリ | ベスト4 |
マスターズシングルスの最高成績は準優勝。
2001年のシュツットガルトで準優勝。
その他シンシナティ、パリ、ハンブルクでもベスト4進出。
ダブルス
| インディアンウェルズ | 準優勝 |
| マイアミ | 優勝(4回) |
| モンテカルロ | 優勝(2回) |
| マドリード(シュツットガルト) | 優勝(2回) |
| ローマ | 優勝 |
| カナダ | 優勝 |
| シンシナティ | 優勝(2回) |
| 上海(ハンブルク) | 優勝(2回) |
| パリ | 優勝(2回) |
マスターズダブルスの最高成績は優勝。
これまでにインディアンウェルズ以外の8大会で優勝した経験が有り、ゴールデンマスターズまであと1つというところまでいきました。
特にマイアミでは優勝回数が4回と最も多く、ハード、クレー問わず2回以上優勝した大会も多いです。
獲得賞金
キャリア通算の獲得賞金は約1170万ドル(約12億9000万円)
キャリアハイランキングの推移
シングルス
| キャリアハイの推移 | |
| トップ100 | 1999年(22歳) |
| トップ50 | 2000年(23歳) |
| トップ20 | 2003年(26歳) |
| キャリアハイ|18位 | 2003年(26歳) |
ダブルス
| キャリアハイの推移 | |
| トップ100 | 1997年(20歳) |
| トップ50 | 1999年(22歳) |
| トップ20 | 2000年(23歳) |
| トップ10 | 2000年(23歳) |
| トップ5 | 2001年(24歳) |
| トップ3 | 2002年(25歳) |
| 1位達成 | 2003年(26歳) |
| キャリアハイ|1位(合計57週) | 2003年(26歳) |
シングルスでも活躍をしていた
ツアータイトルこそ1つだけですが、1999年に初めてトップ100に入ってから2007年まで約8年という長い間トップ100の位置を守り続けていました。
グランドスラムではベスト8が最高成績でしたが、マスターズでは準優勝もあり、ダブルスだけではなくシングルスでも良い成績を残していた選手です。
ダブルスでは名プレーヤーとペアを組んだ
自身がダブルスでツアータイトル52勝、グランドスラムで6勝を挙げ、ランキング1位にも57勝在位したというトッププレイヤーだっただけに、ペアを組んでいた選手もレジェンドプレイヤーが多かったです。
2002年~03年頃はインドのダブルスプレイヤーでランキング1位にもなっているマヘシュ・ブパティ選手と組み、ブパティ選手とはその後2010年頃にも再タッグ。
2004年~2007年頃はダブルスで生涯グランドスラムも達成したスウェーデンのヨナス・ビヨルクマン選手とのペアで活躍。
さらに2011年~2012年頃にはカナダのレジェンドプレイヤーであり、ゴールデンスラムも達成しているダニエル・ネスター選手とペアを組みました。
ちなみに2002年頃にはその頃はまだ若手だでしたが、現在は史上最高のテニスプレーヤーとも言われているロジャー・フェデラー選手ともペアを組んでました。
では2020年シーズンから錦織圭選手の新しコーチになったマックス・ミルヌイコーチについては以上です。
ここまで読んでくださってありがとうございました。
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